平成7年1月17日5時46分の22秒間。この間に、今までの街並みの面影は失われ、全く知らない街になってしまった。
高速道路は600メートル以上にも横たわり、ビルのガラスは飛び散り、木造住宅は潰れ、道はふさがれ、ビルはひしゃげ、遠くの方まで見晴らしが良くなり、あちらこちらで火の手が上がる。がれきの中で苦しむ、大切な人を助け出す。
死者6300余名の貴い命が奪われた。
「天災は忘れた頃にやってくる」まさにそんな出来事であった。
亡くなられた方の8割以上が、建物倒壊による「圧死」という。
建物の倒壊さえ免れれば・・・
私たちは、亡くなられた方のためにも、この教訓を生かさなければならない。
日本が赤い点で見えないほどで地震が多い証拠である。